2021-10-20

50歳になりました

40歳のときよりも人生が随分ラクになった、というのが率直な感想です。

現実的な日程でリタイアが見えてきたからというのもありますが、人生の選択肢がだんだん少なくなってきたという理由も大きいです。

40歳であれば、何かの分野で一流の人物になれる可能性がまだギリギリ残っているかもしれません。しかしながら、50歳ともなると、伊能忠敬のような極少数の例外を除いて、多くの人には残念ながら遅すぎます。

ゼロから何かを始めるということではなく、今までやってきた仕事の延長であれば、一流の人物になれる可能性が少しはあるのかもしれません。しかしながら、既に早期リタイアを考えている立場なので、もうこれ以上、仕事に必要以上のエネルギーを費やすことはありません。

若さがあって、将来の可能性があるということは、それ自体、ポジティブなことではあるのものの、その反面、可能性を失ってしまうリスクと恐れを抱えるということでもあります。

自分自身、今から10年前(ちょうど東日本大震災の年です)は、今よりも生きていくことが大変でした。IT関係だったので、給料は恵まれていた方かもしれませんが、仕事内容にまったく興味が持てず、かといって独立する踏ん切りもつかず、資産もリタイアするには不十分でした。

「四十にして惑わず」などと言いますが、自分にはまだ何かができると思えていて、一方で何もできず、何も成し遂げていない自分に歯がゆい思いがあり、これからどう生きていくべきか、迷ってばかりいました。

今は、一流の人物になりたいとも思っておらず、何かを成し遂げようとも考えていません。やりたいことはたくさんあっても、それは私的なことでしかなく、社会的使命もなく、人と比べてどうこうというのもありません。ただ、人生の残り時間をなるべく気持ちよく過ごしたいというだけです。

少し早めに社会からドロップアウトして、道端の石のようになって、穏やかに生きていければと思っています。それが、自分にとっての「五十にして天命を知る」ということだったのかもしれません。


2 件のコメント:

  1. だれかあんたに一流の人物になってほしいと思っているやつがいるのかってことだよなあ。だれも望んでないことをしてもだれも喜ばないし

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    1. まぁそうなんですよね。結局のところ自己満足です。

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